こうやってブログを通じて文章を公開していると、ある欲求に狩られます。つまり、もっと上手い文章を書きたいという事。書いた時は「よっしゃ!いい記事が書けたぞーーー!」と思う。でも1週間たって客観的な視点で読み返してみて唖然とある「陳腐じゃねぇか!」と。本書はエッセイストである著者が、800文字のエッセイでいかに人の心を動かすか、その文書術が紹介されている。基本的な文章術ではなく、かなり本格的なものです。



例えば、エッセイストである著者が一番恐れている事は何か?つまりは、読後に、、



「あっそう」



で終わられる事だ。これは別に読まなくても良かった事を意味していて、文章の書き手とては一番やってはならない事だそうです。理想なのは「へぇーそうなんだ」と思わせる事。エッセイの役割は以下の2点だと言います。



1.自分の書きたい事を、

2.他社が読みやすく書く



という事です。

ブロガーという視点で読みむと、えったった800文字でこれだけ推敲しなければならないの?という思いが強いです。例えば、行間であったり台詞そして枠組みまで、まさにエッセイは作品であるといっても過言ではないです。
自分≠他者の本質は変えられないけれど、読み手と書き手の間の溝をできるだけ埋める。読み手の負担を、できるだけ軽減する。それには、一語一語のつながり、一文一文のつながりについて、こうではないか、ああではないかと迷うような幅をできるだけ狭めて、読み手の苦労をなるべく少なくする努力が、何よりも求められます。

●エッセイで求められるのは起承転結の「結」ではなく「転」。



これは結構衝撃的な話でした。よく文章で言う「起承転結」。小学校で中学校で習った経験や記憶を持っている方も多いと思いますが、物語が始まってから終わるまでの過程です。よく小説などでは、起承転結で言う「結」が最も大事だとされています。推理小説で言う犯人が明らかになる部分です。しかし、エッセイにおいて大切なのは「起承転結」の「結」ではなく「転」だと言います。極論を言えば、結は帳尻合わせでも良いと著者は言います。まず文章で構成するために必要なのは、起承転結で言う「転」の部分。



ここから考え始める事が大切だと言います。



転が書きたい事の中心。読者に「へぇーそうなんだ」と思わせる事が大切です。一番言いたい事を「転」にもってくる。例えば、ミネラルウォーターのエッセイの中で言えば、「同じ水でも、その水で炊くと、さすがにおいい、、かどうかは、実はよくわからない。が、元手がかかっているのだ。そう思わねば、むなしすぎる。」と綴っている。ここで読者は「おおっ、へぇーそうなんだ」といった感想を抱くわけです。



他にも、カメラ的な発想で物事を描写する。同じ意味でもより具体的な言葉を選ぶ。例えば、千匹のトンボではなく、佃煮にしたいぐらいのトンボの方が読者も共感する事ができる。



●ブログで使えるエッセイ脳。



ブログとエッセイが共通している部分は短い文章でいかに伝えるかという点です。たとえ、凄いオチが用意させていたとしても、全員が最後まで読んでくれる保証はどこにもない。著者が言うように「結」ではなく「転」を中心に持ってくる事も戦略の一つ。ただ、本書で強く伝わった事は、文章は適当に書くのではなく、戦略を練って意図を持って望む事だと思いました。僕らなんて、べぼのへぼだね。
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